その物自体の価値ってたいして大切じゃないよね

今回は、行列に並ぶってことから、価値を見出すってことについて考えてみました。

鳥取県に、スターバックスコーヒーができましたね。
全国各地にあるスタバですが、唯一、鳥取県だけにはなかったそうです。
そのスタバ空白地鳥取県に、ついにスタバができるということで、ニュースで取り上げられていました。

スタバがないことを鳥取県知事もネタにしていたほどですから、スタバができるとあらば、それなりのニュースになります。
鳥取県民が待ちわびていたかどうかはわかりませんけど、長蛇の列ができていました。
コーヒーを一杯飲むのに、開店の何時間も前から並ぶって、すごいな、、、と私は思ってしまいました。

行列の話でもう一つ。
私は地元が愛知県なんですが、名古屋駅にあるギャレットポップコーンにも毎日人の列ができています。
私が見ている限り、4月1日にオープンしてから今日まで、行列ができなかった日はないと思います。
平日も休日も絶えず列ができるってよっぽど美味しいんでしょうね。
食べてみたいものですが、、、

私は、絶対に行列には並びたくないって人じゃないですが、それでも、コーヒーやポップコーンのために何時間も並ぶのはちょっと無理かもしれないです、、、
だって、言ってもポップコーンですよ。
まぁ、私の修行が足りないのかもしれませんけど。。。

私は、並んででも買う価値がある物なのかなと考えてしまうわけですが、実際問題として、その物自体に価値があるかどうかは、どうでもいいらしいです。
というのは、人は、何時間も並んで買ったのだから、それには価値があると思い込むようにできているからです。

これについてのわかりやすい例えが、中野信子さん著の「脳はどこまでコントロールできるのか?」にまとめられていましたので、引用したいと思います。
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この本で出てくる例は、超高級なワインを買ったが、それがどうも美味しくないというものです。
行列に並んで買ったという話ではありませんが、本質的にはあまり変わらないと思います。
事前知識として、矛盾というのは、「高級なワインなのに美味しくない」ということです。
また、認知というのは自らが抱く思いのことで、ここでは、「高級なワインだから美味しいに違いない」ということと、「だけど美味しくない」という2つのことを言っています。
以下が引用

脳は、この矛盾状態をとても不快に感じますから、どちらかの認知を変化させることで、ワインの価値を正当化しようとするのです。
どういう変化をさせるかというと、たとえば、「味そのものは好みではないが、やはり深みと歴史を感じる」と、別のところに価値を見出そうとしたり、あるいは、「今の私には美味しいと思えないが、飲み方が違うのかもしれない」、「自分の舌が肥えていないだけかもしれない」と、自分のせいであると思い込もうとするのです。

この話を置き換えれば、「行列に並んでまでして買ったのだから、美味しいに決まっている」っていう思い込みがあるんだよねってことです。

行列に並ぶ並ばないに対しては、いろんな意見があると思いますけど、私は本人が満足してるならそれで良いんじゃないのって思います。
自分の行為に価値を見出すのは、自分です。
だから自分がよければなんだってOK。
その物自体に価値があるかないかは、どっちでもいいんですよー。

今日はこの辺で。

ありがとうございます
TatsuruHonda
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