人生は差を楽しむものです

お店などで、料理を注文するときに迷わずに決められるタイプでしょうか。
それとも、あれもこれもと目移りして、なかなか決められないタイプでしょうか。

私は、優柔不断な性格ですので、後者です。
早く決めなくちゃと焦ります。
そんな私ですが、ここ最近は、割とパッと決められるようになりました。
今日はそんな話です。

優柔不断な人というのは、選択に迫られたときに、その選択が失敗だったらどうしよう、と考えてしまうから決められないんだと思います。
メニューを決める場面でいえば、まずかったらどうしようとか、こっちよりあっちのが美味しいんじゃないかとか。

優柔不断な人は、失敗する自分を許せなかったりするみたいで、完璧主義者なことが少なくないそうです。
完璧主義は幸せになれない傾向があるそうなんで、ほんとやめたほうがいいというか、やめたい。。

そんな優柔不断な私が、なぜ最近はパッと決められているのか。
それは、人生は差を楽しむものだと思うようにしたからです。

そりゃ、まずいものは食べたくありませんけど、美味しいものばかり食べていては、その美味しさの感動があまり大きくなりません。
まずいものを食べるから、美味しいものが本当に美味しいと感じられます。
美味しいものを美味しいと感じるためには、差が必要ってことです。

しかも、その差が広ければ広いほど、感動は大きくなります。
たくさんの失敗を繰り返してやっと成功したときは感動が一入になるといいますけど、それと同じですね。
(これは余談ですけど、ひとしおって一入と書くんですね。)

最後に、お店でメニューを決めるのを題材として、実際に私がどうやって決めているかってことを、話しておこうと思います。

一番楽なのは、店員さんにオススメはなんですかって聞くことです。
何回も通ったことのあるところだったら別ですけど、初めて行くようなところでは何がおいしいかなんてわかりません。
なので、店員さんに聞きます。
店員さんはプロです。
わからないことは、その道のプロに聞くのが一番です。

ここで注意しなくちゃいけないのは、店員さんに文句は言ってはいけません。
店員さんに判断を委ねたのは自分なんですから、その結果に満足できなかったとしても、その責任は店員さんにあるのではなく、自分にあります。
どんなものが来たとしても受け入れてください。
文句を言っちゃいそうだなって人は自分で決めてください。

私は自分で決める時は、まずメニューにざっと目を通します。
そしたら、そこから自分に与える時間は10秒とします。
10秒間で、一番頭の中に残ったものを選びます。
大事なのは時間をかけないことです。
頭で考えるから決められないのです。
考える時間を与えないようにすればいいのです。

その結果として、選んだものがまずくてもいいんです。
次に食べたものが美味しいと感じられると思えば。
てか、美味しいとかまずいとかの変化があったほうが、人生は楽しいに違いありません。
これは味に限った話ではないんでしょうけど。

ちなみに、前回のエントリで、すべての物事を良きこととして捉えるのは、つまらないって言った真意はココにあります。

では、今日はこの辺で。

ありがとうございます
TatsuruHonda

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